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音楽プロデューサーの意義は?
自分に音楽の才能のないことはわかっている。

聴く分にはある程度の才能のがあるらしく、いい音楽は一聴して判断できるが、作る能力はまったくのゼロだ。
そんな私が今回音楽について書いてみたいと思ったのは、楽曲が作られる(あるいはCDとして発売される)過程で、音楽プロデューサーの役回りがどれほど大きなものかということを思い知らされることが近年とみに多くなってきたと思うからだ。
楽曲の作成過程について、つぶさに知っているわけではない。むしろ知識ゼロといっていい。それでも音楽プロデュースについて語りたくなってしまうのは、私の場合アニソンのせいである。
近年は多くのすぐれた才能(この場合音楽について)は、ドラマやアニメのテーマソングとして登場することが多い。
私が一番不思議で納得がいかないのは、それらのすぐれた才能を持つアーティストをいったいどこからどのように見つけてくるかだ。
星の数ほどいる音楽プロデューサーひとり一人に、これまた目をかけている星のごとくのアーティストがいることがいることは、想像に難くない。
才能のあるアーティストすべてを把握することは無理でも、勢いのある音楽プロデューサーの幾人かを常に把握していれば、どのアーティストがどんなパフォーマンスを見せてくれるか把握することはできるかもしれない。
私が主にアニソンにとりつかれているのは、それをしてもそのアニメにこれしかないという楽曲を作り出せるアーティストを見出してくるのは難しいと思われるのに、一部のすぐれた音楽プロデューサーは、それら一般人には不可能に近いと思せるようなことを、時として平然と、いとも簡単なことのように行ってみせることなのだ。
優れた楽曲のほとんどは、「この楽曲でこの歌詞ならどう考えてもこのアーティスト以外はあり得ない」、というパフォーマンスを見せるではないか。
どう考えても、その環境が容易に準備できるとは思えない。どうやれば、そのような環境を用意することができるのかということなのだ。

私は、アニソンは作り手にとって−アーティストや音楽プロデューサにとって−ギャンブル(冒険)だと思う。
どの辺がギャンブルかというと、アニソンの作り手には初めからある意味の暴走が求められているような気がするのだ。既成概念を打ち砕くための表現力、つまりそれがある種の暴走を意味するのだが、そのような力が求められているような気がする。
それが結果的に斬新なすぐれた曲を生み出すことにつながっていることは十二分に理解できるが、逆にそれが楽曲を台無しにしていることも多いのではないかと思う。
考えてみれば、楽曲提供される際に台無しになっているのは、主に2コーラス目以降のことが多いような気がする。
音楽プロデューサーの努力の結晶が最初に世に出るのは、アニソンの場合テレビバージョンという形で表現されるが、このテレビバージョン、第1コーラスのできは素晴らしいが、第2コーラス目はムリヤリ作ったというものも珍しくない。
その多くの問題の本質は、歌詞にあることが多いようだ。第1コーラスの歌詞の韻を踏めていない曲がなんと多いことか。第1コーラスの韻を踏んでいないばかりでなく、文字数すらあっていない曲も珍しくない。
これは素晴らしいという曲は、文字数があっているばかりでなく、第1コーラスの韻を踏んでいるものが多いような気がする。そればかりでなく、伸ばす音やつまる音なども第1コーラスにあせて作られているものが多い。それでいて流れに納得のいく歌詞になっているのだから大したものだ。
最近の楽曲は、話し言葉をそのまま音に当てることも多いので、傑出の作品に出会うと、私のような素人は度肝を抜かれっぱなしなのだ。

つまり私の音楽プロデューサに対するイメージは、ある種の暴走をはみ出して「完全暴走状態」になりかかった作曲家や演奏家をなだめ、歌手の声質の最もいい表情を見つけ出して音として表現することなのだ。
だが多くの場合、アーティストの「完全暴走」は止め切れていないことが多いように思う。
私が主張したいのは、作曲家や作詞家の暴走をなだめてそうらなないように、イキイキした活力のあるものに仕立てられるかどうかは、もちろんアーティスト自身のモチベーションによるものもあるとは思うが、そのほかに周囲の叱咤激励、こと音楽プロデューサーの演出によるところは少なくないのではないかということだ。
出来のよいアニソンのマキシCDの2曲目の多くが、そういったアプローチをとらず、音楽プロデューサーに見初められる以前の、おそらくアーティスト自身の演出で失敗しているらしいものがほとんどだという点を見ても(それらのほとんどは1曲目とは月とスッポンくらいに曲の雰囲気も出来も違うものが多い)、私の素人考えがまんざら大きく的をはずしてるようには思えないのだ。
音楽プロデューサー万歳といっているわけではもちろんない(最後になってだんだん不安になってきた)。
このエッセイを執筆するのに、音楽の仕事をされている知人に意見を求めてみた。
その方の見解は、私の意見はもっともだとした上で、「自分は、心で素直に生み出せているかどうかを最重要要件としている」というものだった。
音楽プロデューサーたるもの、もちろん音楽が好きあることは第一条件だろう。
だが、音楽家を愛せなければ、楽曲を世に送り出すことなどできないのも事実だ。
そして、市場に一致する自分の中の趣味をアピールできる人物、つまり「アーティストの心を市場に受け入れられる形でアピールできる」人一倍凝り性な人物、そんな人物が音楽プロデューサーとして求められている気がする。
MIDIの打ち込み3曲で挫折し、最後まで耳コピした唯一の1曲は周囲の爆笑を買う出来だった私に多くを語る資格などないことはわかっているが、才能をもつ多くのアーティストが今後も優れた音楽プロデューサーにめぐり合うことを願ってやまない。
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